2011年07月07日

震災後

3月11日の震災から4ヶ月が経とうとしている。

ボクがなかなか書けないことがあった。
多くの外国人と同様、ボクも18日にイタリアへ子供たちを連れてイタリアへ避難した。
逃げた、と思われてもしかたない。

13日の爆発以後、1日に5〜6通のメールがイタリア大使館から届くようになった。
イタリアの技術者が入り、現状はこうだ、という内容のもの。
そして、15歳以下の子供がいる家庭には、帰国勧告。
大阪発のアリタリアで、何席が用意しているので、これらの便に乗って、子供を帰国させなさい、という内容のもの。

イタリアの家族や友だちからも毎日、連絡があった。
「まだ東京にいるのか、お兄さんや弟も避難したのに、お前は何をやっている。子供のことを第1に考えろ」
ボクの携帯は鳴りっぱなしだった。

ボクの息子と娘はどうだったかというと、地震の日からインフルエンザにかかっていた。
熱も下がり、大使館からのメールでも飛行機の数を増やした。子供を避難させろ、という連絡が頻繁に入るようになった。

息子は、小学校の卒業式を控えていた。
出させてやりたい。
でも、、、、

17日の夜中に奥さんと話し合った。
大阪発のアリタリアで帰国するか、インターネットで調べたら、エールフランスが18日の昼の便で、格安のを見つけた。
アリタリアで帰っても帰国するのは、自費。
すぐに往復チケットを買った。

18日の朝、やっと熱が下がった息子を5時に起こし、今日、イタリアへ行く、と告げる。
息子は、泣いて抵抗した。
「卒業式に出たい。みんな日本にいるのに、ボクだけ逃げるみたいで、嫌だ」
家族みんな泣いた。

辛い朝だった。

そして、パリに着いたとたん、今度はリビアの戦争だ。
世界中、安全なところなんてない。
でも、ボクの家族や友だちは、近くで戦争が始まろうとしているのを承知で、
「なんで、奥さんを日本においてきた。いつ、彼女はイタリアへ来るんだ。
 もし、帰国するなら、子供だけは置いていけ」

家に親戚や友人が来るたびに、この話。
フィレンツェの町に来ても、ボクたちが日本から来てると知ると、原発の話になる。

うんざりだった。

でも、チェルノブイリの事故のとき、ローマの日本人学校へイタリアの文部省から通達があったという話を聞き、イタリアへ来たのは、よかったのかな、と思った。

文部省から「速やかに子供たちを日本へ帰国させなさい。あなたたち教師の一番の役目は、子供たちの安全を守ることです。速やかに帰国させなさい」という内容のもの。
自国民には、「自宅待機」しか言えないのに、他国民の子供たちを守る姿勢。
イタリアって、すごいと思った。
子供には国境はないのだ。

息子の卒業式と言う思い出を結果的に奪ったけど、
とりあえず、中学の入学式に間に合うように帰国した。

今、息子は楽しく中学へ通っている。





posted by アンジェロ at 12:00| イタリア | 更新情報をチェックする